「キッズ・スペース」のスタッフ紹介 〜目線を同じに、心を一つに〜
(2011年6月6日更新)
多賀城市の避難所の一つ、多賀城市総合体育館では、約320人の方々が不安やストレスを抱えながら生活を続けています。プラン・ジャパンは、子どもたちが周囲を気にせず安心して遊べるよう、子どものための「キッズ・スペース」を週6日運営。週末には、20人近い子どもたちが遊びに来ることもあります。
その場所で子どもたちを笑顔で迎えている、多賀城市在住の高橋職員をご紹介します。
「子どもたちとの信頼関係を築いていきたい」 高橋職員
■キッズ・スペースの仕事について
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震災前からこの体育館で、子どもたちやシニアの方々を対象とした体育館主催のサークル・教室の指導をしていました。
震災後、この体育館でボランティアをしていたときに、プラン・ジャパンの募集のことを知り、応募しました。
私はとにかく子どもが好きで、高校のときから先生になりたいと考えていました。だから、子ども相手の仕事を今まで続けてこられたのだと思います。
ここにはまだ充分に言葉で表現できない2〜4歳の子どもたちも遊びに来ます。保護者に、彼らがどういう形で震災にあったのかを聞いて、接するようにしています。
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■東日本大震災を経験して
地震があったときには、この体育館で仕事をしていました。
体育館は、照明が落ちたり、壁にひびが入ったりして危なくて避難所としては使えないという話になり、閉鎖して職員も家に帰ることになりました。
その途中、警察官に「この先は津波が来ているから進めない」と止められ、体育館に戻ってきたのです。
市役所から「学校だけでは避難してくる人たちを収容できないので、この体育館も使える場所だけ使う」という指示があり、私も朝までその手伝いをしました。
次の日の午後、腰まで水に浸かる場所を通りながらも、なんとか自宅にたどり着きました。1階は、まだ膝まで水がある状態でした。今は主人とともに、別に住まいを借りて暮らしています。
娘は石巻に嫁いでいて、嫁ぎ先の家も車も津波に襲われ、義理の両親、子ども2人が亡くなりました。
生き残った子ども、つまり私にとっては孫になりますが、小学4年生という幼さで地震や津波の恐ろしさを目の当たりにして、とても傷ついたようです。それでも、お友だちと一緒に、以前通っていたプールにまた行けるようになるなど、少しずつですが立ち直りはじめました。
私も一人でいるときは、つい悲しいことを思い出してしまいますが、キッズ・スペースで子どもたちの相手をしているときには、忘れるようにしています。
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■避難所で感じたこと
大人の間では、避難所内での信頼関係ができてきています。
以前は高齢者を中心に「子どもはうるさい」などと言う方も多かったのですが、最近は理解も深まってきて、自分の孫のように思ってくださっているようで、怒鳴る姿を見ることはなくなりました。
子どもたちも、震災後は心が荒れているというか、落ち着かない感じでしたが、学校が始まったこともあり、自分を取り戻してきているようです。生活も規則正しくなっています。
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■キッズ・スペースのこれから
私から「おはよう」「こんにちは」「一緒に遊ぼう」と声をかけても、モジモジしたり、「いい(遊ばない)」と言ったりする子もいます。今後は、こちらからの一方通行ではなく、子どもたちの方から声をかけてくれるコミュニケーションにもっていきたいです。
ここにきたら「先生!」と声をかけてくれたり、いつのまにか近くに来てくれていたり…。
子どもたちとの間にも、人間同士の付き合い、信頼関係を築いていきたいです。





























