●難民キャンプ生まれの元チャイルド、エルシーから 〜エルサルバドル〜
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(2009年9月1日更新)
私の名前はエルシー。22歳、エルサルバドル人です。私はホンジュラスのメサ・グランデという難民キャンプで生まれました。そこは、エルサルバドルの内戦から、何千もの家族を避難させるためにUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が用意した場所です。
私たちは1987年まで難民キャンプで過ごしました。その年の10月に数千人とともにエルサルバトルに帰国しましたが、そこで待っていたのは完全に破壊された村でした。私たち一家はグアルヒーラという村に住むことになりましたが、生まれて間もなかった私にその頃の記憶はありません。
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村の人たちを手助けするため、毎日多くのことを一生懸命学ぶエルシー
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母は、女手一つで私を育ててくれました。父が戦争中に殺されたからです。私には姉が一人いましたが、1歳になる前に亡くなりました。戦時中、人々は山に隠れ、飲み水も食糧もなく、また寒い夜に寒さを凌いで眠る場所もないままに過ごさなくてはなりませんでした。その凄まじい環境で、多くの乳幼児が命を落としたといいます。
私は母を誇りに思っています。彼女は、私にとって母であると同時に父でもあり、また偉大な先生でもあるのです。難民キャンプでの暮らしは、多くの戦争未亡人にとって苦労の多いものでしたが、母はとても強く、私を大切に育ててくれました。彼女は身をもって、女性として身体を大切にすること、自分自身を尊重し自分の可能性を信じることを教えてくれました。
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私は7歳の時にプランのチャイルドとして登録されました。そして、様々なプロジェクトに参加しながら、子どもには遊び、楽しみ、幸せになる権利があることを学びました。また、子どもメディア・プロジェクトに参加したことで、「自分が何を思い、どう感じているのかを口に出すことを恐れてはいけない」ということも学びました。私には自分の考えを表現し、学んだことを人に伝えることができる、と気づかせてくれたプランに感謝しています。
今は、これまでに参加した平和や非暴力をテーマにしたプログラムの素晴らしい経験を他の仲間たちにも伝えています。
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私は今、大学のコミュニケーション科4年に在籍し、来年、卒業する予定です。私の国では、農村出身で大学を卒業できる若者は、数えられる程度しかいません。女性であれば更に状況は厳しく、私のこれまでの道のりも、とても険しいものでした。しかし奨学金と私自身の努力により、私の夢は実現しつつあります。
子どものための活動をしているあらゆる機関や政府にとって、「子どもたちと一緒に活動する」ということが、これからの課題だと私は思います。そのためには、子どもたち、特に女の子の意見や提案を吸い上げていくべきです。彼女たちには良いアイデアを出し、社会が抱える問題に対する解決策を見つけていく力があります。女の子たちは強く、高い能力を秘め、機会さえあれば国の発展に大きく貢献することができるのです。
エルサルバドルってどんな国? |
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