
うじきつよし(以下、うじき):この3名が集まるというのは非常にユニークですよね。まずは自己紹介から始めませんか。
羽中田昌(以下、羽中田):95年にサッカーの指導者の勉強をするためにスペインのバロセロナへ渡欧し、その後昨年まで四国の高松にある社会人リーグ・カマタマーレ讃岐の監督をしていました。この3月から東京に戻ってきまして、現在は解説などのお仕事を楽しくやらせていただいています。
うじき:アメリカワールドカップアジア地区の出場をかけた国際試合で、日本代表の予選敗退が決まった『ドーハの悲劇』という言葉で知られる93年。ちょうどJリーグが開幕し、その頃からサッカーの番組をやらせてもらったことがきっかけでサッカー好きになってしまったうじきです。
番場慎也(以下、番場):プラン・ジャパンに勤務して4年。アジア・アフリカ・中南米の様々なプロジェクトに関わってきました。小学校から大学までサッカーをやっていまして、今も週一回フットサルを楽しんでいます。なので、今こうしてサッカーを通してこのプロジェクトに参加できたことはとても貴重な経験です。
うじき:サッカーとプラン・ジャパンの新しいチャレンジ。この実像を突き詰めていこうという懇親会なんですよね。これまでプラン・ジャパンとサッカーとの関わりはあったのですか?
番場:単独での関わりというのはなかったのかも知れません。ただ個々のプロジェクトの一環として、学校へ備品や運動遊具を支給する中にサッカーボールが含まれていたと思います。
うじき:サッカーは世界的に盛り上がっているスポーツなんだということは感覚的にわかっているつもりですが、僕が思っている以上にサッカーが持っている力というのは地球規模ですごいんでしょうね。共通ランゲージ(言語)にかわるものですよね。
番場:今、行われているプロジェクトの中でサッカーボールを支給することがあります。ボール一つ持って行くだけで子どもたちの表情がぱーっと変わっていくんです。目が輝きだして、収拾できないくらい遊びだして先生が困ってしまうこともあるほど。実際、子どもたちには英語が通じないのですが、現地の言葉を返さなくてもボール一つあれば通じてしまうんです。
羽中田:そうですよね。ボール一個で子どもたちが嬉しそうな顔になるんですよね。丸いボールさえあれば、そこにいる人たちを一つにしてくれて、夢中にしてくれて。まるでスゴイ魔法みたいですよね。
うじき:あれは日本では見られない顔ですよね。
羽中田:セルジオ越後さんに「車椅子に乗って監督の修行に行ってきます」と、バロセロナへ留学する前にお話ししたとき「じゃぁ、羽中田。サッカーボールの向こう側にある物を見てこいよ」とおっしゃったんです。そのときはどういうことなんだろうと思いました。
あちらで過ごしているときに僕が感じたのは“貧しさ”だったんです。サッカーボールを追いかけて、サッカー選手になって、その貧しさから脱出するというのが子どもたちの夢。サッカーボール、あるいはサッカーというのは希望の光なんだと気がついたんです。
うじき:貧しさもサッカーと接することで潤ってくるところがあるんでしょうか?
羽中田:ヨーロッパ、特にバロセロナではサッカーの歴史と自分の歴史が強く結びついていることを感じました。例えば「バルサ(FCバルセロナの愛称)が2冠獲ったとき僕が生まれたんだよ」とかね。サッカーが、あるいはバルサの存在がその地域の、そして子どもたちの希望の星なんですよね。











