2012/4/13

RUN FOR GIRLS ~私たちの元気が世界中に届きますように~

Filed under: Japan日本 — Staff @ 9:08
スポンサー
成瀬訓美子

一年ほど前、私が走り始めた大きな理由は、プラン・ジャパン評議員の増田明美さんがプランの広報活動のためにどこかのマラソン大会に参加されることを知り「私も一緒に走りたい!」と思ったこと。

気持ちよく晴れた空の下、お揃いのピンクのプランのTシャツを着たスポンサーの方たちとあいさつを交わしているところへ増田さんが。とても気さくな方で「がんばりましょうね」とみんなにお声をかけてくださいました。

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増田さんのご指導で準備運動をした後、走るペースの打ち合わせをしてスタート地点へ移動。いよいよスタートです。

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ほぼ最後尾に位置取りしたピンクTシャツの集団は、ピストル音が聞こえて少し経ってからゆっくりとしたペースで走り始めました。

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淀川河川敷に設定されたコースは快適で走り易かったのだけど、私は大都市の河川敷で普通に走ることのできる意味を考えていました。一ヶ月半前にチャイルド訪問でホンジュラスを訪れた時に「川の近くは危ないから絶対に近づかないよう」にと言われていたからです。そしてそれは、数年前に訪れたパラグアイでも同じでした。途上国の多くでは、都市部の川の近辺は非常に治安が悪いようです。コース沿道からはたくさんの声援が飛び、それは私たちの国では当たり前の光景なのにそうでない国が多くあることを、楽しく笑顔で走り多くの方にプランに関心を持ってもらって、活動の意味を知っていただけたらと考えていました。

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プランの集団を引っぱる増田さんは、沿道の方には「こんにちは!」、一緒に走っているランナーの方には「がんばりましょう」「いいペースですよ」と声をかけて行きました。どなたも、後ろからいきなり声援されてビックリし、声の主が誰であるかを認識したときもう一度ビックリ。みなさんが全く同じリアクションで、私はそれ見たさで増田さんのすぐ後ろをついていきました。

そのうちに増田さんが「ファイト!ファイト!」と掛け声をかけ始め私たちスポンサーもそれに応えて、いつの間にか掛け声ランニングになりました。レースも中盤を過ぎそろそろ息が上がってくるころなのに、背中に「RUN FOR GIRLS」を背負って元気よく声を出しながら駆けて行くピンクの集団。多くの方に私たちの楽しいランニングを見ていただけたのではないでしょうか。

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私は日頃から、周囲の人が「楽しそうで羨ましい」と思うような支援活動ができたらと思っています。そしてこの日の私も走っていて楽しくて仕方ありませんでした。ご一緒したみなさんもきっと同じ気持ちだったと思います。ゴール直後のみなさんは同様に晴れやかなお顔をしていらっしゃったから。

家族や友人たちには「プランの広報活動のお手伝いをしてくるね」と言って出掛けてきたのに、終わってみれば自分を満足させるための時間となってしまいました。本当に楽しく有意義な一日で、途上国の女の子たちが自分の楽しみのために時間を使えるようにならなければ、とあらためて思いました。

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【ご参考】

ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン

2012/4/10

「乾いた大地の国」 ネパール

Filed under: Asiaアジア — Staff @ 9:58

プログラム部
内山 雄太

マイクロ・ファイナンス(小規模金融、以下MF)プロジェクト視察のため、ネパールに行ってきました。

訪れた場所は標高1500~1600メートルの山岳地帯ですが、山頂への道には小岩(小石ではありません)がビッシリ敷き詰められていて、ガタピシ。道幅も狭く、対向車が来ると、どちらかが道を譲らなければなりません。

写真:MFプロジェクトが行われている山岳地帯の風景” title=
MFプロジェクトが行われている山岳地帯の風景

勿論、ガードレールなどないので、運転を誤ると崖から真っ逆さまという、スリリングなシチュエーションです。山頂地域ではMF事業を営んでいる女性の皆さんが歓迎してくれました。

ネパール人の顔は、モンゴル系、インド系、アラビア系など様々。人懐い人ばかりです。どこに行っても必ず決まった歓迎の儀式があります。一人一人が私の額の真ん中に赤い粉をつけ、花のレイを首にかけて手を合わす(私は仏様?)。

貯蓄組合を運営しているマネジャーと副マネジャー
貯蓄組合を運営しているマネジャーと副マネジャー

ネパールは、とにかく乾いた大地の国でした。生活地域の川は干上がり、水源は数キロ先。山間部では、往復1時間かけて谷底の水源まで水を汲みに行かなければなりません。

これを家族皆が1日5往復します。このため家事や農作業の時間が十分に確保できません。水不足は、野菜の生育や家畜の健康にも影響します。 どこに行っても、「プロジェクトは、必ず給水とセットにして」と同じことを言われました。

日本人にしか見えないモラン現地事務所のマネジャーも、隣で盛んに頷いていました。

日本人そっくりのモラン現地事務所マネジャーと  
日本人そっくりのモラン現地事務所マネジャーと  女性自助グループの皆さんと

本題に移りましょう。

ネパールでは国民の20%しか金融サービスが利用できないと言われており、特に山岳地帯の人々は利用する機会がほとんどありません。また、女性は家庭内での立場が弱く、資産を持つことや物事を決める権限がありません。

貯蓄組合に融資を受けにきた女性
貯蓄組合に融資を受けにきた女性

男性は決定権を持つ一方で、生計の向上にあまり協力的でないため、家計は楽になりません。収入安定のためには、家族の生活を第一に考える女性が手に職をつけることが一番。

MFプロジェクトでは、女性たちが「自助グループ」を編成して(1グループ約20人)、低利率のローンで野菜の栽培や販売などの小規模事業を行います。

ローンの返済はグループ単位で責任を持ちますが、皆、ご近所の人ばかり。お互いに「迷惑はかけられない」という意識が強く働きます。村のリーダーや自助グループのメンバーで運営される貯蓄組合がローンの原資。自助グループのメンバーも3000人以上が貯蓄組合に参加しています。

女性たちは、事前に村落開発委員会などが市場を精査した上で、確実に収入が見込めると判断した事業を選択しています(有機野菜生産、ヤギ畜産が多い)。よって返済に困ることはありません。

ブロッコリーの栽培
ブロッコリーの栽培

専門家による事業開始前の起業訓練や開始後のフォローアップ体制も万全。中には、わずか2ヵ月で1万ルピー(約1万円)稼いだ女性もいます。ネパール人の平均年収が470ドル(約3万9000円)ですから、立派なものです。隣で、男性陣が小さい声で訴えました。「僕たちには起業支援してくれないの?」


マッシュルームの栽培

また、月1回の自助グループ会議の際に行う「行動変容トレーニング」では、女性の権利、妻と夫の役割分担のあるべき姿などについて学びます。さらに、各家庭での経験を皆と共有します。参加者は学んだことを持ち帰り、家族に提案。時間をかけて徐々に理解してもらいます。その後、「夫が農作業に協力的になり、飲酒も減った」、「家族での決め事に女性の意見が通るようになった」などの声が寄せられ、成果が現れ始めています。「プランの事業は、“女性”、“社会”、“共益”を重視し、自立発展的。地元に根付く支援をしてくれている」と現地の評判も上々でした。


行動変容トレーニングの講師の女性とトレーニングの様子

【ご参考】

2012/4/5

東北の魅力に、ほとんど落涙。

Filed under: 東日本大震災 — Staff @ 13:31
コミュニケーション部
久保田 恭代(中央)

「空気が少しだけ暖かくなってきたこの感じが、一年前のあの日を思い出させる」
3月11日をはさむ数日間、プラン・ジャパンの東日本大震災支援対策室の同僚たちのお手伝いで仙台に滞在した際に、地元の同僚がこうもらすのを聞きました。

この同僚の周囲では大震災から1年を迎えるこの時期、体調を崩す方が多かったそう。
いわゆる、“アニバーサリー反応”なのでは、とのことでした。

「3月11日が近づいてきたら震災や津波の報道が増えた。悲しくなるからニュースは見ないようにしている」という方も。
こうした言葉をもらした方々は、いずれも震災直後から地元の復興のために奔走し、貢献されてきた人々。私たちから見たら「前進している」方々ですら、やはり3月11日を再び迎えることには心身ともにご負担があるのは当たり前なのだと、あらためて感じました。

葛藤を抱えつつも、前進する人々が集ったのが、「3.11東日本大震災 市民とボランティアの集い」です。

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会場となった東北大学片平キャンパスのさくらホール

イベントには、被災地支援をするNPO/NGOや、農・海産物の生産や販売を支えるグループが出展。「知ること」「購入すること」でアクションの形を見つけよう!という呼びかけのもとに行われました。

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復興を目指す団体のブースは大賑わいです

出展ブースを覗いて歩いたところ、山盛りのいちごを発見。山元町のいちご農家さんたちによる出展です。カップに好きなだけ山盛りして、100円。

「最終的にてっぺんを手で押さえるのもアリですか?」

「もちろん、アリです!」

販売担当の爽やかないちご青年の笑顔に後押しされるように、てんこ盛りに。
一粒いただくと、さっぱり系の甘さゆえに、いくらでも食べられます。中まで赤い!

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青臭さゼロで、マイルドなお味でした

そうこうしているうちに、劇的にいい匂いが漂ってきました。引き寄せられるようにそのブースにたどり着くと、そこでは「東松島のワカメのしゃぶしゃぶ」が提供されていました。島国に暮らす私たちの鼻腔と脳を刺激して止まない、あの磯の香り。
同僚の職員Fも、「何、これ!美味しすぎる」と声が裏返っています。

聞けば、前日に収穫されたばかりで、塩蔵されていない生ワカメとのことでした。柔らかいのに歯ごたえはしっかりです。

写真:
しゃぶしゃぶして、ぽん酢でいただきます

クラフトも光っていました。
こちらは、NPO法人「亘理いちごっこクラブ」による、いちごのストラップ。フェルトの質感が懐かしく、それがまた妙にかわいいのです。
東北で一番の生産量を誇った亘理町のいちごですが、震災で9割のいちご農家が被災したそうです。このストラップの売り上げの一部は、復興支援と製作者への謝金とのこと。

「毎日がんばって作っています。ありがとうございます」という、製作者の方の手書きメッセージに、じんわりと温かい気持ちにさせてもらいました。さっそく購入。

写真:
同僚たちからも、「かわいい~」という声多数

こちらは、若林区の仮設住宅集会所を拠点にしている、「卸町5丁目公園仮設 手作りクラブ」のもの。 ティッシュケースにも、バッグにも、やはり手書きメッセージがついています。

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ティッシュケースも裏地がついて、
とても丁寧な作り

写真:
この日の人気商品、トートバッグ

色とりどりのミサンガは「気仙沼ボランティアネットワーク 聖敬会」によるもの。
勤めに出ることが困難な方が、家庭で作業しながらも収入をしっかり得ることができるようにと構築されたプロジェクト。売り上げの、なんと90%が製作者に渡るそうです(残りの10%は材料費)。
女性たちがまとめて大人買いしていました。

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ひとつ一つ、色合いが微妙に違っていて、
作った方の個性を感じます

「復興を応援しなければ」という使命感によるというより、むしろかわいいもの、美味しいものを前に、お財布の紐がゆるんでしまったひと時でした。
もちろん、作った方の“前進しようとする姿”が想像できるのは、普段のお買い物ではあまりない経験。それも復興応援グッズの魅力でしょうか。

外に出ると、本日のイベントのひとつ、キャンドル・セレモニーが進行中。
セレモニーの最後には、皆で風船を一斉に放ち、空に吸い込まれる風船たちを見送りました。
このセレモニーの参加者はボランティアの学生さんなどが多かった模様ですが、「東北を応援し続けたい」、そんな思いを皆が共有できた瞬間だった気がします。

東北の魅力に圧倒されたイベントでした。

写真:
メッセージがそえられたキャンドルも

写真:
バイオリンの演奏を聴きながら、追悼の思いを深めます

写真:
風船を見送って、皆で気持ちをひとつに

ここでは、元気な東北の姿、前進する東北の姿をお伝えしましたが、もちろん、「一年が過ぎた今でも1ミリも前に進めない」「どんなにがんばっても、頼りない歩みしかできない」、という方もきっといらっしゃるでしょう。

より多くの方々に、より元気になっていただく。そんな主旨で活動してきたプラン・ジャパンですが、そんな方々にも思いをはせながら、新たな段階の活動を模索しています。

【ご参考】

◆東日本大震災支援の最新情報は、Facebookでご覧ください!

2012/3/28

インドの結婚シーズン

Filed under: Asiaアジア — Staff @ 9:37

プログラム部
大重早苗

結婚シーズンは交通渋滞がつきもの

2012年2月下旬の2週間、プラン・マンスリー・サポーターで支援する「子どもと女性を中心としたHIV予防とケア」プロジェクトの中間評価のためにインドへ出張しました。評価を行う活動地域の1つ、オリッサ州ガンジャムでの道中、赤いバラやカラフルなリボンに飾られた乗用車を数えきれないほど目にしました。現地の言葉を知らない私にも、バンパーの上の金文字が“Just Married(結婚したて)”であることはすぐにピンときました。車中に赤いサリーを身にまとった花嫁と白い伝統衣装の花婿が垣間見えたからです。

11月から2月はインド各地とも結婚シーズンなのだそうです。それにしても平日なのにすごい数。その1日で30台くらい見かけました。同行しているプラン・インドHIVチームのロミが「今日は吉日に違いないわ」と言います。田舎は道が狭いので、新婚カーのゆっくりスピードに若干いらだちも募ってきます。時には楽団を乗せた複数の車の列にも遭遇。こうなると完全に渋滞です。

地方で異なる結婚のお祝い

次に、ウッタラプラデシュ州マウにある活動地域を訪問した日も「吉日」にあたってしまいました。前述のガンジャムとは異なり、夜に結婚式のパレードが華々しく繰り広げられます。マーチングバンドに、装飾ライトを掲げ、招待客は踊りながらの行進。花嫁は車の中に隠れていますが、花婿は馬に乗って王子様のよう!活動地域からの帰途、こうした行列にまた数多く遭遇しました。

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車の中から見た結婚式のご一行

写真:
結婚式のマーチ

その華やかでにぎやかなことに、同行のプラン・インドHIVチームの2人もびっくり。「僕の故郷のコルカタではこんなことしないよ!」とメンバーの一人、サトヤジットが言うと、「私の故郷のマニプールでもしないわ」とロミ。広大で多様性の国インドでは地方によって、ずいぶん結婚式のスタイルも異なるようです。

パレードは道いっぱいを占領し、私たちの車がホテルに着いたのはさらに遅くなりました。疲れ果ててホテルに到着した私たちを待ち受けていたのは、にぎやかな結婚披露宴。水シャワーしか出ないようなホテルでしたが、玄関はカラフルな風船で彩られ、着飾った招待客であふれています。すでに夜も遅いのでそのまま部屋に戻って休みましたが、部屋を間違えた招待客がドアをノックする音で起こされ、安眠できない一夜となりました。

生活に欠かせないホロスコープ

インドでは、結婚だけでなく日頃からホロスコープ(出生時の天体図)を重視する文化があります。「吉日」もここから決まります。お互いのホロスコープが合わないとお見合いさえできないことも、一世代前では普通だったそうです。今ではそうしたことも減ってきているようですが。ガンジャムを出かける前に見た新聞の星占い欄に、ロミの星座が「今日は交通渋滞にまきこまれる」とあり、「当たったじゃない!」とチームの皆で大笑いしました。

ホロスコープには無縁の私ですが、今回最後に訪ねた村は電気がまだ通じておらず、満天の星々がとても美しかったです。

写真:星空の下で訪問した、受益者の家
星空の下で訪問した、受益者の家

写真:訪問した保健所で、花輪と額にティカ(赤い粉)で歓迎されました(右からサトヤジット、大重、ロミ)
訪問した保健所で、花輪と額にティカ(赤い粉)で歓迎されました
(右からサトヤジット、大重、ロミ)

【ご参考】

ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン

2012/3/22

新人マネジャーの格闘日記

Filed under: Japan日本 — Staff @ 10:47

プログラム部マネジャー
馬野裕朗

新人プログラムマネジャーの暗中模索の日々

2012年1月5日にプラン・ジャパンに入局した。
この日は仕事始め。川上理事長の挨拶の後、皆さんの前でどぎまぎしながら挨拶をした。

僕は、これまでフランス語の教師や外国語学校の運営などをしていた。直近の10年間は開発コンサルタントとして、アフリカの最前線でJICA(国際協力機構)の技術協力プロジェクト(主に教育分野)を実施していた。NGOの仕事は初めてだ。

写真:以前、開発コンサルタントとしてセネガルで行った、教育プロジェクトのワークショップ風景
以前、開発コンサルタントとしてセネガルで行った、
教育プロジェクトのワークショップ風景

暗号に立ち向かう日々

何もわからないまま、毎日、怒涛のごときブリーフィングを受ける。同時にたくさんの資料を与えられる。日本語の資料、英語の資料、とにかく山積みの資料との格闘。そしてメール数の多さ。英文メールの多さ。それだけでものすごいプレッシャー。

横文字の解読が大変なだけではない。意味をなさない略字の多さに辟易とする。あまりに多くて、文章全体の理解にも支障をきたす。例えば、プランの中では日本も含めた20カ国の支援国をNational Organizationと呼ぶ。略してNO。でも僕にとっては、それは「ノー(いいえ)」でしかない。

周りの同僚の優しい助けで、徐々に理解できるようにはなった。しかし、いまだに新しい略語が増殖しているのであろう。もう止めてほしい。さもなければ、どんどん文書が暗号化してしまう。

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支援国プログラム・ディレクター会議に出席

怒涛のごとく情報をインプットする日々を送り、頭はそれらの情報で膨らんでいくばかり。でもまだそれらを整理する余裕がない。神経細胞は増えているが、それをつなぐ経路が未発達、という状態。そんな僕がいきなり支援国プログラム・ディレクター会議に出席することになった。

2012年2月20日~22日までの3日間、場所はスペインのマドリッド。2月上旬の仙台出張をはさみ、実質的に1か月ちょっとしか働いていない。頭は莫大な情報がばらばらのまま。会議の1週間くらい前から事前資料が山のように送られてきた。頭を抱えるような量である。一生懸命に読んだ。週末も読んだ。初めての国スペインのマドリッドに到着しても外出もせず、ホテルに閉じこもり読みに読んだ。

会議での緊張の日々

実は、この会議に参加するに当たっては大いに緊張していた。当たり前だが、その参加者の誰とも会ったことがない。会議は英語、弱った。僕は、開発コンサルタントの最後の7年はほとんどフランス語圏アフリカで仕事をしていた。そのため、英語を使うことが全くと言ってよいほどなかった。そのため、BE動詞の活用さえもすぐには口から出てこない、というありさまだった。

プランに入りたての新人であり、頭はバラバラのままの情報で一杯。それに言葉の壁を感じ、出発前から会議出席にかなり緊張していた。しかし幸いなことに、会議前日、議長を務めるアイルランドのダミアンがメールで、「今ホテルの横にあるレストランで飲んでいる。時間がある人はぜひ」と案内をくれた。それにビビりながら参加した。カッコつけているような人はいなかった。みなフランクで、優しい人々だった。お蔭で翌日からの会議初日は少し心穏やかに迎えられた。3日間何とかついていった。一生懸命発言もした。3日間終わり、疲れた。
これからも、少しずつですが、成長していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン

2012/3/14

寄付×東京マラソン 職員の寄付で、東京マラソンを走りました。

Filed under: Japan日本, 事務局より — Staff @ 13:08

オペレーションサポート部
浜田憲和

僕の初マラソンは、残業中にかかってきた、電話一本で決まった。

林マネジャー 「あ、まだいたの」
浜田 「はい」
林マネジャー 「今年の東京マラソンでプラン・ジャパンが協力団体に選ばれたの、知ってるでしょ。」
浜田 「ええ、うれしいですよね。東京マラソンの会場で活動をアピールできて、寄付を集められるんでしょ?」
林マネジャー 「そうそう。プラン・ジャパンの活動を知ってもらう、いいチャンスなの。」
浜田 「ランナーの中にも、うちに寄付して、走る人もいるんでしょうね。」
林マネジャー 「そう願ってるわー。プラン・ジャパンのTシャツで走ってくれたりとかね。」
浜田 「それ、最高じゃないですか!!・・・・・ところで、なんで今、その話なんですか?」
林マネジャー 「えっと、もう一人、ランナーを増やそうと思ってさ。」
浜田 「え?どういうことですか?」
林マネジャー 「東京マラソン走ってくれないかって言ってるの!もちろん業務外(・・・)でね。参加のお金は、職員にカンパしてもらうからさ、がんばってね!」

なんとなんと、林マネジャーの目論み以上に職員のカンパが集まり、ランナー登録も無事終了。
登録にかかったお金以外は、もちろん寄付しました。

写真:東京マラソンイベントに出展中
東京マラソンイベントに出展中

残るは僕。最後まで歩かないこと、キロ6分弱で走って、あわよくば4時間を切ること。初マラソンにしては大それた目標を反芻して威勢よくスタートした。

といっても、36,000人が走るこの大会、中間点の有楽町までは大渋滞。

写真:沿道もコース上もすごい人
沿道もコース上もすごい人

写真の通り、すごい人で、とても自分のペースでは走れなかった。

給水ポイントや、道幅が狭くなるところは、他の人に当たらないので精一杯。

それでもキロ6分を守るため、身体をよじり、人を掻き分け、前へ前へ。

渋滞が解消しだしたのは、25キロ、水天宮とか人形町のあたりから。

写真:水天宮前25キロ付近を快走中
水天宮前25キロ付近を快走中

気温も上がってきたし、僕も余裕が出てきて、沿道の人から、ケーキをもらったり、カメラにも笑顔で応えたりしながら、気分よく走る。

といっても、レースを楽しめたのは、この後、疲れが出てくるまでのほんのちょっとの間だけ。

写真:築地・35キロ付近
築地・35キロ付近

35キロを過ぎたところ、隅田川に架かる佃大橋の登りで、疲れがドンときた。

エネルギー切れの心配は無いし、関節も大丈夫。でも、前半、我慢できずに、身体をよじりながら走ったツケが肉にきた。

足を上げるどころか、股が緩んで、まともに地面を蹴れない。

素人丸出し・・・と、後悔したけれど、後悔先に立たず。

骨盤を叩き、腕を振り、身体を騙して、残っているものをかき集めてなんとか走らせる。

はたして、もつのかあと7キロ。

と、不安になっていたところに、職員の城谷と、鈴村が二人で待ち構えてくれていた。

疲れなんてどこへやら、ついついはしゃいで、一回転なんぞしてしまった。

写真:佃大橋の上で、はしゃぐ
佃大橋の上で、はしゃぐ

身体を騙せたのも、40キロまで。その後は、アスファルトが骨に響いて痛いし、意識も混濁。

沿道の声も認識できなくなって、どうやって進んでいるのかもよく分からない。ただ、前半で抜いたランナーに置いていかれるのが、とにかく、くやしいしい。それだけ。

写真:プランを背負って走りました!
プランを背負って走りました!

もうだめだーと思いながら、よれよれとゴールするも、しばらく、意識が定まらなかった。

タオルをもらって肩に掛け、水とバナナを胃に放り込み、ようやく落ち着く。

最後まで歩かなかったんだーと、息を吐いた。

タイムは4時間21分28秒。
目標には及ばなかったけど、上出来、上出来。

応援してくださった皆さま、ありがとうございました。

僕の背中に目を止めた人が、プラン・ジャパンに参加しますように。

【ご参考】

ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン

2012/3/5

話を聴くことが心のケアに

Filed under: 東日本大震災 — Staff @ 9:34

東日本大震災支援対策室 心理士
フェティ・ザクラ

昨年3月の東日本大震災による巨大な津波が人々や町にもたらした大きな被害は、人々の心に昨日のことのように刻まれています。世界中の人々は、これほど大きな災害に対して、日本が適切に、素早く対応できることを知りました。被災地区の瓦礫は片付けられ、町は急速に綺麗になりつつあります。しかし問題は被災した人々の心の状態です。建造物の再建と同じようなスピードで、回復しているのでしょうか?

写真:保育士向けワークショップの様子
保育士向けワークショップの様子

日本人の自尊心や品位の高さは、間違いなく今回の迅速な生活再建を実現する力となっています。私が出会った人々との対話を通して分かるのは、多くの人は他人に助けを求めるよりも、自分ですべてを行おうとする傾向が強いことです。

「他人から強く見られたい」という思いは、被災した人々がいち早く自分の足で立ち上がることにつながり、それ自体はとても良いことです。しかし一方で、他人に迷惑をかけたくないという気持ちが、自分の感情を表わすことにブレーキをかけます。日本の文化では、他者と気持ちを共有し合うのはあまり一般的でないようですが、被災した保護者や教員とのワークショップを通して、私は必ずしもそうではないと思いました。

写真:ボランティア・市民向けワークショップの様子 写真:ボランティア・市民向けワークショップの様子
ボランティア・市民向けワークショップの様子

ワークショップの中で多くの人は、悲しく、つらい経験を積極的に話します。話している最中に泣き出したり、震災から6カ月経って初めて自分の経験を口にすることができたという人もいました。彼らは誰かに自分の気持ちを打ち明けたいと願いつつ、話すことで他の人に迷惑をかけたり、重荷になることを恐れていました。また、自分の状況や経験してきたことを相手がきちんと理解してくれるかどうかも、自信が持てずにいたのです。

被災した人々が、災害によって感じる不安や緊張を解き放つことはとても重要です。気持ちを口に出すことで、心の問題を深刻化させずに済む場合が多いからです。強いストレスを長期間抱え続けると、我慢の限界を越えたときに、必ず身体や心の状態に影響してきます。不安やつらい感情を解放する簡単な方法の一つは、信頼できる人に気持ちを打ち明けること。被災した人々には、何度でも繰り返してこのことを伝えるべきだと思います。

写真:ペアになって互いの話を傾聴します
ペアになって互いの話を傾聴します

プラン・ジャパンは、世界保健機構(WHO)が作成した「Psychological first aid: Guide for field workers(以下PFA)」の日本語版製作に協力しました。PFAに書かれている重要なポイントの一つは「傾聴」です。「傾聴」とは、相手を尊重し、話に集中して、目と耳と心で聴くこと。NGOやNPOのスタッフやボランティアに限らず、多くの人がこの冊子を活用し、傾聴の方法を学ぶことで、被災によるストレスを抱えた人々が感情を表に出しやすい環境が作られていくことを願っています。また災害支援の場に限らず、傾聴に必要な技術はいつでも、どこでも使えるものです。だからこそ、多くの人に広めることがとても重要だと思います。


フェティ・ザクラ
インドネシア出身の心理士。国連機関で避難民や移住者のための、メンタルヘルス・プログラム・コーディネーターやソーシャルワーカーを務め、国際NGOなどで心理士として活動。特に、2005年以降は内戦と津波の被害を受けたインドネシア アチェ州で、子どもたちの回復力を高めるプログラムを担当した。
2011年8月から半年間、プラン・ジャパンの心のケア支援プログラムアドバイザーとして活動。

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2012/2/24

プランの現場力~ブルキナファソ「人身売買防止」プロジェクトを訪ねて~

Filed under: Africaアフリカ — Staff @ 14:13

事務局長 佐藤活朗

厳しい環境

2012年1月、西アフリカのブルキナファソでプラン・ジャパンが支援する「人身売買防止プロジェクト」を見てきた。このプロジェクトはプラン・マンスリー・サポーターの支援によるもので、同国の8地域で展開して予定期間3年のうち2年が経ったところ。

首都ワガドゥグは乾季の最中、気温は32度くらいでカラカラに乾いている。天気は良いのに砂塵で靄がかかったように見える。北に約100キロ離れた活動地に移動する沿道は植物がまばら、日本人の目には荒涼とした砂漠だ。たまに集落があるがここで生きていくのは大変だろう。

写真:乾季の風景
乾季の風景

自然環境の厳しさに驚きながら、砂漠のなかの孤島のようなコングーシ町に到着した。ここは北部活動地域の中心で、プランの現地事務所のほか、子どもの福祉を担当する社会福祉局や救出した子どもたちを親元に帰すまでに一時収容する施設(トランジット・センター)、子どもたちの職業訓練先などがある。プランの地元職員や公的機関をはじめとする協力者たち、支援を受けている子どもと会った。

写真:トランジット・センター
トランジット・センター

人身売買の実情

正直に言って、ブルキナファソに来るまで子どもの人身売買について頭ではわかっているつもりでも、いまひとつ実感がなかった。現場で聞いた現実はショッキングだった。

この活動地域だけで過去2年間で57人の子どもが救出され、その大半が女の子。子どもが家を離れた理由はほとんどが「経済的理由」、平たく言えば家が貧しくて食べていけないことが背景にある。子どもたちの行き先は、女の子の場合は性産業や家事等の労働、男の子は金鉱などでの労働が多い。人身売買は児童労働とセットになっているのだ。

一方、良いニュースは最近では警察などの公的機関が積極的に対応するようになったこと。幹線道路で不審な大人が身元不明の子ども複数を連れているケースなどを検問したり、金鉱での児童労働を監視、摘発しているという。

プロジェクトでは、子どもたちが救出されるとトランジット・センターに収容して事情を聴き、親と連絡を取る。生計困難な家庭に対しては再び子どもが家を出る事態にならないよう収入改善への支援(家畜飼育や裁縫等の職業訓練など)を行っている。

中には、孤児になった少女を、親戚が引き取り育てているケースもある。この場合、家計が苦しくなると、引き取った少女を売りとばしてしまうことがこの地域では少なくない。そうした事態を未然に防ぐためにも、収入改善支援として、プランは家畜(ヤギ)飼育支援を行っている。

写真:家畜を支援している家族と
家畜を支援している家族と

持続する解決に向けて

とはいえ、被害にあった子どもを救出して支援するだけではまだ「モグラ叩き」である。そこで、このプロジェクトには人身売買を許さない世論・意識を強めて人身売買を未然に防ぐ活動を組み込んでいる。ラジオでの啓発プログラムや、コミュニティを巡回する集会、鉱山・農場などの雇用主への働きかけなどの活動を全国で展開している。

現場を回り関係者と話してみて、このプロジェクトはプラン単独で実施しているものではなく、郡庁や警察などの公的機関、地元の住民グループなどの関係者が同じ目的に向かい連携して取り組んでいることを実感した。ワガドゥグで面会した中央官庁の責任者たちも国の将来のために子どものことを真剣に考えていた。

写真:プロジェクト関係者たち
プロジェクト関係者たち

願いは同じ

ワガドゥグから遠ざかっていく機内で思った。世界のどこでも親やおとなは本来、子どもの健やかな成長と可能性の開花を願う。貧困や自然条件の厳しさなどがこの自然な願いの実現を妨げている。現場に根をおろして関係者とともに働くプランのやり方は、ブルキナファソでもしっかり動いている。人身売買防止は難しいテーマだが、今後も改善を加えさらに効果を高めていかなくてはと、気持ちを新たにした。

【ご参考】

ボランティア・寄付ならプラン・ジャパン

2012/2/8

プランと私の不思議なご縁

Filed under: 東日本大震災 — Staff @ 10:48

東日本大震災支援室
新野 佳世

サポーターからスタッフへ

私は7年前からプランのスポンサーとして、ベトナムに住む男の子と交流してきました。赤ちゃんだった彼も、今では小学生です。

まさか私が住む宮城でこんな大きな震災があるなんて、プランが宮城で復興支援の仕事をするなんて、プランで働くことになるなんて、夢にも思いませんでした。不思議なご縁を感じています。

2011年8月からプラン・ジャパンのスタッフという立場になり、サポーターでは分からなかったことに気づきました。さすがプランだな、と感じた例は、働き始める時に「チャイルド・プロテクション・ポリシー別ウィンドウ」(子どもを虐待・搾取から守るための方針)のレクチャーを受けたことです。子どもを大切にするプラン、ならではですね。

今年、被災地では雪の日が多く、東日本大震災支援室のスタッフは、みな寒さに震えています。スタッフはほとんどが東京出身、アドバイザーのフェティさんはインドネシア出身と、温かい地域から来ています。私たち地元スタッフは、長年この地に住んだ経験から「雪道を歩くならこっちの靴のほうがいい」など、地元ならではのアドバイスをしています。

プランが母校に体育用品を支援

今回またもう一つ、プランを通じて不思議なご縁をいただきました。私の母校、地震と津波で被災した宮城県石巻好文館高校(旧名:石巻女子高校)に、体育用品を支援することになりました。

好文館高校は、創立100周年を迎えた2011年、震災で大きな被害を受け、その後は避難所として使用されました。震災から2週間後、私は卒業してから初めて母校を訪れました。あまりの変貌にショックを受け、思わずシャッターを切った写真がこちらです。

写真:好文館高校
好文館高校

平和で、楽しかった高校生活を送った校舎。その校舎の3階の窓に、当時は予想もしなかった文字が並んでいます。

窓に大きく赤文字で、『SOS 1600人』と書いてあるのが見えますか。震災時、自衛隊のヘリに助けを求めたものでしょう。

3月下旬は、水も食事も、まだまだままならない時でした。私が母校の校庭で聞いた音は、高校生の歓声ではなく、自衛隊のヘリコプターのけたたましい音。目に入った景色は、自衛隊の炊き出しの車、迷彩服を着た隊員たち。炊き出しを待ちながら列に並んでいる人々には、笑顔がありませんでした。

その様子を見ながら、「私の母校は、戦地になってしまった」。そんなことを感じていました。

不自由な高校生活を送る高校生

そんな好文館高校や宮城県石巻工業高校など4校に、プランが体育用品の支援をすることになりました。震災から10カ月経った今も、被災した学校は、不自由な生活を余儀なくされています。

好文館高校では、1階が浸水したためたくさんの体育用品が塩水につかり、全く使えなくなってしまいました。床下にはヘドロが溜まっており、夏場には悪臭に悩まされた、とのこと。グリーンの芝生で覆われていた校庭は見る影もなく、水はけが悪くなってしまいました。また、石巻市立女子商業高校と宮城県農業高校は、校舎も体育館も、津波が来た時のまま手つかず、の状態です。

写真:石巻市立女子商業高校体育館
石巻市立女子商業高校体育館

写真:石巻市立女子商業高校体育館外観
石巻市立女子商業高校体育館外観

この4つの高校の高校生たちは、体育や部活の時間にプランが支援した体育用品を使ってくれるでしょう。高校生らしく、楽しい時間を取り戻してくれたら、うれしいですね。

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2012/1/27

子どもたちからもらった元気 ~「未来を写そう!」プロジェクトを通して~

Filed under: 東日本大震災 — Staff @ 13:29
東日本大震災支援対策室ボランティア
伊藤 トオル

「未来を写そう!」プロジェクトで、写真撮影をボランティアで指導くださったのが写真家の伊藤トオルさん。伊藤さんに、このプロジェクトに参加しての思いをお聞きしました。

プラン・スタッフ(以下P):まず、東日本大震災発生後のことをお聞かせください。

伊藤(以下I):私は仙台に住んでいて、家と家族は無事でした。しかし、多賀城の実家や兄と連絡がとれず、2日後、ガソリン不足のため2時間かけて自転車で、瓦礫の中を安否確認に行きました。全員無事でしたが、実家は1階が浸水し、近くの親戚の家も住めない状況でした。

後日、泥のかき出しなどの復旧作業に自転車で通いました。その時期、仙台の自宅の被害が少なかったこととのギャップに、混乱していたのを覚えています。同時に被災地の写真も、使命感や義務というよりも条件反射のように撮っていたのですが、心身ともに疲れを自覚していました。
そんなときに、このプロジェクトの話をいただいて、「これだ!絶対やりたい」と思ったのです。


(撮影:伊藤トオル)


P:
それはどうしてですか?

I:私は子どもが好きで、写真を専門学校で15年くらい教えたり、親子ワークショップも開催したりしていました。
このプロジェクトで子どもたちと触れ合うことにより、救われるような気持ちがしたのです。


P:
実際にワークショップをしてみて、いかがでしたか?

I:教室に入る前は「どうなるのだろう」と、期待と不安がありました。でも、実際、子どもたちに会ってみると、被災によって心に傷を受けているのでしょうが、興味津々で目がキラキラしていました。

校庭でひと遊びして来て、顔いっぱいに大粒の汗が流れている子もいました。挨拶のときは、みんな神妙な顔をしていましたが、カメラを手にすると、ワイワイガヤガヤして、「やっぱり、子どもっていいな」と思い、元気をもらいました。

P:東京や仙台での写真展では、どのようなことを感じられましたか?

I:
子どもたちは被災しただけではなくて、避難所でも学校でも元気に生きている、ということを、見てくださった方々に感じていただけたのではないか、と思います。

P:このプロジェクトを通じての感想をお聞かせください。

I:子どもたちの「被災地の何かを記録しよう」という思いを感じました。東北の状況を発信し、担っていくのは子どもたちなのです。

それは、今回、震災で被災した地域以外の子どもたちも同様でしょう。
大人たちは、子どもたちに恥ずかしくない生き様みたいなものを見せていく必要がある、と思いました。

今後も、このようなプロジェクトに関わっていきたい、と強く望んでいます。

【ご参考】

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